自由の女神:歴史雑学

◆ 今回の「本当かよ?」
      
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   自由の女神のモデルは設計者の母親?
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  ニューヨークのみならず、アメリカ合衆国のシンボルとなった自由の
 女神。

  アメリカ独立100周年を記念して、フランスから贈られたものだと
 いうのはアメリカ横断ウルトラクイズのファンならご存知でしょう。

  「ニューヨークに行きたいかー!!」

  ちなみに私は10年ほど前の最後のウルトラクイズで一問目で敗退し
 ました。撃沈......。

  そんなことはどうでもよくて、この贈り物は、この像の発案者で、同時
 に設計者でもあった彫刻家のフレデリック・バルトルディが女神の顔は自
 分の母、トーチを握る伸びやかな右腕と独立宣言書をたずさえる左手、
 足のモデルは妻のジャンヌ・エミリーとして作製したといわれています。
  彼が名付けた女神の正式名は「世界を照らす自由」 。

  フランス語では[自由]という単語はすでに[女性]という意味を含んでい
 ます。 古くは百年戦争でフランスに勝利をもたらしたジャンヌ・ダルク、
 ルーブル美術館所蔵のドラクロワ「民衆を導く自由」など常にフランスの
 自由のシンボルには[女性]が登場してきました。
  つまり、あえて[女神]という言葉は必要なかったのですね。
   
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 ≪今回の「本当かよ?」度≫

   ★★★★☆(星4.0)

 また1876年にバルトルディがアメリカを再訪した際、女神像の設置予定の
ペドロー島を「この島がリバティ島と呼ばれるとピッタ
リ・・・」と彼は語りました。

  その70年後、1956年正式にペドロー島は[リバティ島]となりました。
  夢のある話ですね。 
      
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